狼と森の番人 ... 01

 遠い、遠い、ずっとずっと昔の夢を見た。
 もう二度と会うことの叶わない、彼女の夢。

 奇妙なくらい鮮明な夢の中で、彼女は既に灰になっていた。原型をとどめた骨はごく僅かで、彼女を思わせるものはもうなにもなかった。しかしあるいは、燃え尽きてしまった骨のその繊細さが、唯一彼女らしかったかもしれない。
 ゆっくりと体を起こして、セイジは震える息を吐いた。心臓が激しく打っている。
 遠い昔に、彼女は火事で死んでいる。夢を見たのは悲しいくらいに久しぶりだった。
 両の手のひらを見つめ、強く握りしめる。
 風に舞い上がりそうな骨の粉をすくうと、それは微かな熱を持っていた。単なる火事の名残りだったのだろうが、セイジにとっては彼女の残した最後のぬくもりだった。
 夢の中に、そのぬくもりが再現されることはなかった。

 のそりと、ベッドの横で影が動いた。それは、真白い毛並みの、大きな狼の姿をしている。
 狼はベッドに前足を乗せ、セイジの頬を舐めた。
 不意に触れた熱に、セイジは顔を上げる。一瞬だけ狼の瞳と視線が絡んだ。しかし、すぐにそっぽを向いて、狼はまたベッドの脇で身を伏せる。
「エルフィン」
 狼に呼びかける。セイジが狼に付けた名だった。
 エルフィンは顔を上げず、ただ、一度だけ尻尾を振った。

     ・・・

 カップ一杯分のスープと、固く焼きしめたパンを一切れ、暖炉の上で温める。
 小さな手鍋から湯気がふわりと立ち上り始めると、エルフィンが顔を上げた。
 手鍋を取り上げ、カップに移し、ちょっと持ち上げて問いかけてみる。
「飲んでみるかい?」
 そうすると必ず、唐突に興味が失せたかのように、エルフィンは前足の上へ頭を伏せる。毎朝交わす、ささやかな会話だ。

 食事を終えると、壁の暦を確認する。
 いつの頃からか日付の感覚が希薄になってしまい、今日の目印を、毎日書き込むことにしていた。
 暦には一から三十までの数字が並んでいて、二十九の下に、昨日付けた印がある。朝に丸を書き、夜が更けると、その上に少し大きくバツ印を書くのだ。
 セイジは、三十の右下に小さく丸を書いた。いつもより、心なしか小さな丸だ。
 今日は町へ行く日だった。

- 2016.01.10
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